【奈良県】上北山村

概要

1392年の南北朝合一のあと、禁闕(きんけつ)の変後、南朝の系譜をひく北山の宮(後亀山天皇玄孫)が本村小橡の瀧川寺に神器を持って潜匿されました。
ところが1457年12月2日、宮は主家を再興しようとしていた赤松家遺臣によって殺害されます。これを知った村人たちは、神器と御首を奪い返し、瀧川寺に手厚く埋葬しました。この事件は「長禄の変」と呼ばれています。
宮の御墓は今日でも寺内にあり、また御霊は北山の宮に祀られています。

瀧川寺りゅうせんじ

嘉吉3(1443)年の禁闕(きんけつ)の変後、北山の宮(後亀山天皇玄孫)が瀧川(りゅうせん)(じ)に神器を持って潜匿された。長禄元(1457)年、主家を再興しようとしていた赤松家遺臣によって宮が殺害され、これを知った村人たちは、神器と御首を奪い返し、瀧川寺に手厚く埋葬した。宮の御墓は今日でも寺内にあり、崇められている。

瀧川寺
瀧川寺

北山宮きたやまみや

後亀山天皇立孫とされる尊秀王(自天王)を祭神とする。王は神器(玉璽)を川寺に奉じて南朝の復興を図られたが、長禄元(1457)年12月2日赤松の残党に襲われて御討死。変後この地方民や遺臣が宮を追慕して祠を造営し、今も村民に護持され崇められている。

北山宮
(きた)山宮(やまみや)