【奈良県】五條市

概要

五條市 梅林
梅林

いくつもの時代を刻んできた我が国の歴史。諸国に現れた時の権力者によって、壮大な歴史ロマンが繰り広げられました。賀名生(五條市西吉野町)の地もその一つ。

西暦1334年の建武の新政により、王政復古が目指されましたが、武家の思惑が交錯する中、公家政権の樹立は容易ではありませんでした。これを契機に後醍醐天皇の南朝、光明天皇の北朝が併立する南北朝の歴史の火蓋が切られました。

賀名生には、後醍醐天皇が立ち寄り、その後、南朝三帝の行宮となった伝えられる堀家住宅(賀名生皇居跡)や、南朝時代を語る上で、はずすことができない人物、北畠親房の墳墓があります。

春に梅の花で満開になる賀名生梅林に包まれたここ賀名生の地は、南朝のゆかり深い土地となり、今も南北朝時代の面影を漂わせ、多くの人々が足跡を訪ねています。

梅林
梅林
梅林
梅林

堀家住宅 賀名生皇居跡

延元元年(1336年)、足利尊氏によって京の都を追われた後醍醐天皇は、吉野へと向かう途中に西吉野に立ち寄られました。

天皇を手厚くもてなした郷士の堀孫太郎信増の邸宅はその後、後村上、長慶、後亀山天皇の皇居として南朝の歴史を刻んできました。

南朝こそ正統でありたいと願う後村上天皇は、かつて「穴生(あなふ)」と呼ばれていたこの地に夢実現の願いを込めて「叶名生(かなふ)」と名付けました。その後、正平6年(1351年)には足利氏が南朝に帰順し、また多くの公卿や殿上からの賛同を得た事により、願いが叶ったという喜びを記して、再度この地に名前を名付け改める勅書を下されました。それが「賀名生(あのう)」の地名の由来といわれます。

現在、賀名生皇居跡はリノベーションされ、ジビエ料理のお食事やバーベキューそしてペット同伴の宿泊が楽しめる施設「Hotel & Cafe Restaurant KANAU」として営業されています。

堀家住宅 賀名生皇居跡
堀家
堀家住宅 賀名生皇居跡
堀家
堀家住宅 賀名生皇居跡
堀家

北畠親房公墓

北畠親房は、南北朝時代の公家で、後醍醐天皇に仕え、世良親王の養育をしていましたが、元徳2年(1330年)親王の死を機に出家します。鎌倉幕府が倒れ、後醍醐天皇による建武の新政が始まると再び出仕し、吉田定房、万里小路宣房とならんで「後の三房」と言われるほど、厚い信頼を得ていました。

後醍醐天皇の亡き後、後村上天皇を擁し、南朝の中心人物となりその手腕をふるいます。足利尊氏が南朝と一時的に和議を結び、正平の一統がなされた後、正平9年(1354年)に賀名生で、62歳で死去。カリスマ的指導者親房を失った南朝は衰退の道を辿っていきました。

この親房の墓は、賀名生皇居跡を見守る場所に建立されており、紅葉の名所としても有名です。

北畠親房公墓
北畠親房公墓
北畠親房公墓
北畠親房公墓