概要
笠置町一帯は奈良の東大寺の造営に際し、木材を切り出して木津川の水運を使って運んだ事など古くから水運の要衝として発達していました。
後醍醐天皇が鎌倉幕府の討伐を呼びかけた元弘の変(1331年)において、笠置山は後醍醐天皇の行在所となりますが、鎌倉幕府により陥落し、後醍醐天皇は隠岐に配流されました。その後討幕の動きは各地に広がり、1333年に鎌倉幕府は滅亡しています。 笠置山には後醍醐天皇行在所跡など各所に元弘の戦の跡が残っています。
笠置寺
修験道の修行場として、また弥勒信仰の道場として栄えた笠置山ですが、元弘元(1331)年8月、後醍醐天皇が入山され、約1ヶ月の間、鎌倉幕府軍との戦乱の舞台になり、大半の建物が焼失しました。現在の本堂、正月堂や毘沙門堂などは、室町時代に建造されたものです。笠置寺には、後醍醐天皇行在所跡など各所に元弘の戦の跡が残っています。