【福岡県】八女市

概要

大円寺
大円寺

劣勢となった南朝の巻き返しを図るため、後醍醐天皇は全国の重要地点に皇子を派遣して南朝勢力の結集を図りました。
九州に派遣されたのは征西大将軍懐良親王と五条頼元などわずか13名でしたが、恩賞や処罰の権限を与えられた親王は、熊本県の菊池武光を筆頭にした武士勢力の結集に成功し、太宰府に征西府を開いて12年間維持し、中国の明からは日本国王と呼ばれるなど大きな成功を納めました。
太宰府が陥落した後は、八女市で没したと考えられています。

八女市には、懐良親王のものと伝わる墓所が八女市星野村の大円寺に、後征西将軍として跡を継いだ後村上天皇の皇子、良成親王の墓所が八女市矢部村の大杣公園にあります。
五條家は八女市黒木町大渕で守部を続け、地元住民と一緒に良成親王の墓所を保全し続けました。
9月には五條家御旗祭り、10月8日には大杣公園祭が開催され、今も歴史資産が大切に守り続けられています。

大杣公園祭
大杣公園祭
五條家御旗祭
五條家御旗祭

大杣公園

後村上天皇の皇子で、後醍醐天皇の孫にあたる良成親王の墓所があります。
良成親王は征西府の最盛期に九州に派遣されましたが、1372年の今川了俊による大宰府陥落後に懐良親王から征西将軍の職を継ぎ、1378年には託摩原の戦いで菊池武朝と共に今川了俊を破るなど戦いを続けました。
良成親王は今川軍に追われて五条頼治が守る八女市矢部村の大杣に移り、再び郷里に戻ることなく没しましたが、墓は五條家と地元村人により密かに守られてきました。
明治9年には墓が発見され、明治11年に宮内庁が良成親王の墓と認定して親王墓を整備、大正6年には大杣公園として整備が行われて現在に至ります。
10月8日には良成親王を偲び先人に感謝する行事として大杣公園祭が開催されています。

大杣公園
大杣公園

黒木大藤

黒木大藤は、後征西将軍良成親王がお手植えしたものと伝えられています。
郷里の土を再び踏むことなく、八女市矢部村で没した良成親王でしたが、藤は幾多の戦と大火に見舞われながらも、樹齢600年以上を数える今でも力強く、またたくましく生き続ける長寿の藤として全国に知られるようになり、国の天然記念物に指定されています。

黒木の大藤がある素盞嗚神社には、約3,000平方メートルもの広大な藤棚が広がっており、毎年4月中旬ごろに開花し、1メートルを超える紫色の花房を垂下させます。
開花期間中に開催される黒木大藤まつりには、全国から約20万人もの人が訪れ、藤の美しさに感動されます。

黒木大藤
黒木大藤