菊池市紹介
菊池市は九州の中部熊本県北部に位置します。市の面積の大半は山地が占め、起伏の激しい北部の八方ヶ岳連山と、なだらかな裾野を持つ東部の鞍岳につらなる山々が緩やかに傾斜し、菊池川、合志川、迫間川によって平野部が形成されます。
日本名水百選にも選ばれた菊池渓谷や、二千年にわたる米作りの文化が日本遺産に認められるなど、豊かな自然環境や歴史文化を誇っています。
市の名前は、中世豪族菊池氏の本拠であったことによります。菊池氏は肥後国最有力の武士団で、南北朝時代には後醍醐天皇の皇子懐良親王を迎え、一貫して南朝方について戦い、一時は大宰府を陥落させ九州をほぼ統一する活躍をしました。市内各所には、中世当時の史跡などが今ものこっています。
将軍木・松囃子
菊池の中心隈府の街中に、根周り約10m、樹高約16m、枝張りは東西に約24mの樹齢650年以上の椋の古木が立っています。この樹は、菊池に下向した南朝方の後醍醐天皇の皇子征西将軍懐良親王がついた杖から芽吹いたものとも、お手植えのものとも伝えられることから将軍木と呼ばれ、長く隈府のシンボルとして市民から親しまれてきました。
将軍木の真正面には江戸時代の後半に建てられた松囃子能場があります。三間四方の舞台で、奥の鏡板には松が描かれ、舞台の下には音響効果を高めるための甕が据えられています。地元では、毎年正月にこの樹を懐良親王に見立てて、正面に舞台を設けて松囃子能を催していたそうです。ともに県指定文化財に指定されています。
菊池の松囃子(御松囃子御能)
古くから菊池で伝承されている芸能の一つであり、現在では毎年10月13日の菊池神社秋の例大祭に、将軍木前の松囃子能場で演じられています。起源については定かではありませんが、伝承されている詞章などからみて、室町期から継承されているものと考えられます。1757(宝暦7)年の『菊池松囃子起源書』によれば、十五代武光のときに南朝方の征西将軍として下向した懐良親王のために、正月の祝言として演じられたのが始まりとのことです。舞人1名、大鼓2名、太鼓1名の囃子方と不定数の地方及び後見1名により演じられます。舞の振りが古風で、謡も素朴な要素をとどめることから、能の変遷過程を知る上でも大変貴重なものであり、国指定重要無民俗形文化財に指定されています。
菊之城跡(北宮館跡)
菊池氏初代則隆が、1070(延久2)年に館を構えたと伝えられています。水運を見据えてこの地に築いたと思われ、隈府に移るまで、菊池の中心であったと考えられます。南北朝の動乱期に、北朝方の合志幸隆に占拠されますが、十五代当主となる武光が奪回したといわれています。
近年の館の確認調査では、掘立柱建物跡や溝跡などが見つかり、多量の土師器や高価な青磁などの輸入陶磁器、茶の道具などが出土したことから、伝承のとおり館が存在したことが推測されます。周辺では川港や護岸工事の痕跡が見つかり、一族とゆかりの深い宗教施設や市場の存在を想像される字名がのこるなど、菊池氏当主の館とその周辺の景観を、現代でもうかがうことができます。市指定文化財に指定されています。